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父親の死

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平成22年9月30日午後9時38分 父親は天使のはしごを登って天国に旅立ちました。
享年75歳でした。
入院中には沢山のお見舞いをいただき、また通夜、葬儀、告別式には沢山の方の参列、お心遣いをいただきどうもありがとうございました。
皆様のおかげで無事父親を送り出すことができ、早いもので1ヶ月がたちました。
まだ本当にいなくなったのかと不思議に思う日があったり、少し悔やむ日があったり、思わず涙が流れる日もあったりしますが、少しずつ日常を取り戻しつつあります。



父親は若い頃から不整脈をもっており、時折心臓が躍るという感覚を気にしていました。
平成19年2月にカテーテルアブレーションによる心臓焼灼術の手術を受け、これが成功し不整脈のない生活を手にしてすごく快適な人生を送ることが出来るようになりました。

しかし平成20年7月、夜中に突然不整脈の発作が起き、カテーテルによる二度目の手術を行い6時間ほどかけて不整脈の元をたつ焼灼をしましたが、今回は前回と違って不整脈の元が心臓のかなり奥にあり絶つ事が出来ませんでした。
その不整脈の営みを押さえるには薬しかありませんでした。
しかし弱い薬ではなかなか抑える事が出来ず、アンカロンという不整脈治療に画期的だけど副作用もあるという薬をつかってやっと不整脈を押さえる事ができました。

なんとか日常の生活を取り戻し、少しずつですが仕事もすることが出来るようになり75歳を迎えました。
父親は祖父の代から自営で製菓業を営んでおりましたが、僕は父親の仕事を継ぐ事はなかったので75歳になったら仕事は辞めると常々言っており、今年の3月に60年間続けてきた仕事に終止符を打ち、これから余生は好きな釣りを仲間とするのだと楽しみにしていた矢先の5月初旬、体の調子を崩しました。

GW明けの5月6日に病院を受診すると肺炎になった様で入院をする事になり数日したらその肺炎の種類を調べるとの先生の診断でしたが、その肺炎が一気に進み肺のレントゲンは真っ白になってしまいました。不整脈の薬アンカロンの副作用によるだろう間質性肺炎でいきなり命の危機を迎えてしまいました。

すぐにICUでのステロイドの大量投与と血液の浄化など考えられる最大限の治療をしてもらい、何とか一命はとりとめました。

しかしその睡眠しての治療から覚醒させると体の動きがおかしい。脳梗塞が起きている事が判明、右半身の麻痺が見られました。その後、不整脈も再発し次々と命の危機がおこりましたが、元々体力があったのか父親は少しずつ回復を見せて不整脈も何とか押さえられる薬も見つかり徐々にではありますが回復傾向を示し会話も普通に出来るようになり、7月に入ると食べ物も口にする事が出来、また体のリハビリも出来るようになっていきました。

もう少ししたら転院をしてリハビリを強化し自宅に帰れるように頑張りましょう!と言っていた矢先の7月17日、突然病院から呼び出しの電話が鳴りました。

治療で大量投与したステロイドの副作用か、大腸穿孔でお腹に穴が空いてしまいました。
この状態では早ければ数時間、もって数日の命。助かるためには手術をしてお腹の中を綺麗にして人工肛門をつける方法があるが、今の状態では仮に手術に成功してもただ生きているだけになる可能性は高い、何もしないでこのまま看取るか手術をするかを今すぐ選択してくれと先生に告げられました。

すぐに母親、家内、妹家族と相談してこの状態での手術は酷だろうとこのまま看取る事を選択、最後をともにするべく夜中も看病する事にしてまずは母親と妹に泊まってもらう事にしました。

早ければ数時間、もって数日と言われた父親のお腹の中は大変な事になっているはずなのですが、少しずつ意識も回復し状態も改善しているような日々が数日続き母親と妹も体力の低下が危惧されていたので子供たちが夏休みに入った7日目には家内と娘が8日目には僕と息子が泊まりの看病を交代しました。その日を境に先生も不思議がるほどの回復力で大腸穿孔による命の危機を脱してしまいました。その後の検査で穿孔も閉じている事もわかり、またリハビリを少しずつ再開しました。

それからの入院中には不整脈はたまに出ますが会話も普通に出来、食事は出来ませんが比較的安定した入院生活をおくることが出来るようになりました。

状態も安定してきたので、もう少ししたら転院してリハビリを頑張りましょうと言っていましたが、その日は突然やってきました。

9月30日、5月から続けてきて毎日の日課になっていた夕方の母親の迎えをかねての病院通いで父親の顔を見に下の娘二人を連れて午後七時頃病院に行くと、そこにはいつもの父親がいて子供たちが来たのを喜び、いつもと全く変わらなかった父親に突然の不整脈の発作が襲いました。
今までに見た事にない発作に唖然とするばかりでなすすべもなく母親も子供たちも僕も何もする事が出来ませんでしたが、しばらくすると発作は治まり、父親に大丈夫かと問うと大丈夫だと気丈な返事はしますが、ただ事ではない状態になってしまった事に間違いはなく家族親戚に電話をし、すぐに来て欲しいと頼みました。
程なくするとまた発作が起こってしまいました。先生による緊急の措置でいったんは回復するも不整脈と普通の脈の繰り返しで体力が尽きたときが命の終わりと先生から告げられました。

そして9時20分過ぎから呼吸が苦しくなりだんだんと呼吸が止まり、9時38分、父親は帰らぬ人となってしまいました。


5月の入院以来、幾度の命の危機に何度も涙を流し、仕事をしていて涙が止まらない時もありました。そして覚悟は出来ていたつもりでも最後はとてつもなく悲しく葬儀の挨拶もまともに出来ない情けない自分がいましたが、僕にとって父親は偉大な存在であった事に間違いはありません。
今となっては何も出来ませんが、もっと父親と一緒に釣りをしたかった、話をしたかった。パソコンを打ちながらまた涙がこぼれてきますが仕方ないですね。

ただ入院中は毎日病院に通い一緒にいられた事は僕だけではなく家族にとっても素晴らしい時間を父親と共有出来たのではないかと思います。
子供たちにはよきじーじであったし、子供たちもじーじが大好きだったので悲しくてたまらないでしょうが、
身をもって命の大切さ、命が終わるときのはかなさを教えてくれた父親を忘れる事はないと思います。
本当に素晴らしい父親でした。

親父ありがとう、お疲れ様でした。
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